核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

吉野作造の「小さな王国」評の最後の一行

 これは私の新発見ではなく、生方智子氏の「谷﨑潤一郎『小さな王国』における共同体と権力」(『文芸研究 : 明治大学文学部紀要 』 二〇一五)にすでに引用されていることをお断りします。
 発表直後の谷崎潤一郎小さな王国」に、吉野作造がふれた一節。
 
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 谷崎潤一郎氏の『小さな王国』は我国現代の社会問題に関し頗る暗示に富む作物である。小学生の単純な頭脳から割り出された共産主義的小生活組織の巧みに運用せらるゝ事や、前途有望を以て自らも許し人も許して居つた青年教育家の生活の圧迫に苦しめる結果、不知不識共産的団体の中に入つて行く経過は、一点の無理がなくすら〱と説き示されて居る。作者の覘ひ所は何れにあるにせよ、我々は之によつて現代人が何となく共産主義的空想に耽つて一種の快感を覚ゆるの事実を看過する事は出来ない。而して少しく深く世相を透観する者にとつて、今や社会主義とか共産主義とかいふ事は、理論でない、一個の厳然たる事実である。如何に理屈で以て其誤りを説いても、事実の上に生活問題を解決しないでは、此等不祥なる傾向の実現盛行は、之を阻止する事は出来ない之を国家の将来に憂ふべしとなして未然に防止せんとならば、社会政策の徹底的実行によるの外なきは言ふまでもない。
  吉野作造「我国現代の社会問題」 『中央公論』一九一八(大正七)年一〇月号 九三ページ
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 ……最後の一行(「如何に理屈で」~「言ふまでもない」)は、初めてお目にかかる方も多いのではないでしょうか。伊藤整をはじめとする先行研究では、おそらく意図的に略された箇所です。
 その箇所を読む限り、吉野は共産主義を「誤り」「不祥なる傾向」「国家の将来に憂うべし」「未然に防止せん」と、否定的にとらえています。
 共産主義を自明の真理とする伊藤整らは確信犯的にこれを省いたのでしょう。今さら責めても仕方のないことですが、せめて今後の「小さな王国」研究は、この最後の一行をふまえた上でなされるべきだと考えます。