「平和のときこそ、軍備おさおさ怠るな」(七八頁)という、よく聞かれる言葉(元はラテン語のようです)を、サムナーは、「よく考えてみなければならない」(同)と論じます。必ずしも肯定的にではなしに。
安全保障のジレンマという言葉こそまだ出てきませんが、戦争準備というのは終わりのない競争であって、最新のライフル銃を供給されても、また誰かがそれより新しいライフル銃を発明し、敵がそれを手に入れているかもしれない、といった具合に、ここで軍備完了、という段階はないのです。
以下、サムナー「戦争論」の結びの段落を引用。
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戦争準備は、はてしのない犠牲を要求する。それは虚偽である。そのような考えを何らかの実現をめざして追求すれば、国家のいっさいの資源と活動が吸収されることは一目瞭然である。ヨーロッパのいくつかの大国が、それを経験によって証明している。それよりも賢明な法則は、平和か戦争かどちらを欲するのか真剣に考えることであり、その後で、欲するものの方の準備をすることである。なぜなら、われわれの準備するものが、やがてわれわれの手に入るものだからだ。
(七八頁)
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……戦争の準備をすれば戦争が来る。これは同時代の武者小路実篤『ある青年の夢』なんかでも示されていた洞察です。
では、平和の準備をすれば平和が来るとして、平和の準備とはいかなる活動をさすのか。サムナーはついに語りませんでした。そのへんはサムナーを超えて、こちらで考えなければならないようです。