今回も小ネタもいいとこですが、もしかしたら大ネタにつながるかも知れません。
石川啄木の明治四十一年日記(1908)の、「九月十六日」より。
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(岩手日報社の)主筆はその時から神川福士政吉氏、その昔報知新聞で初めて懸賞小説を募集した時、村井弦斎が一等で此の人が二等だつたと云ふ。埋れたる人の一人。武骨な、口下手な、肥つた人であつた。
石川正雄編『石川啄木日記 第2巻』(藤森書店 1982(昭和57) 304頁)
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と、ここまで打ち込んで、念のために検索したらすでに「神保町オタオタ日記」様(2008年2月10日「弦斎に負けた男、福士政吉」)に先を越されていました。
これだけだとまた二番手だったで終わりなので、おまけの情報を。
その昔というのは『郵便報知新聞』1888(明治21)年3月10日に記事が残る、懸賞小説募集のことです。村井弦斎『黄金島』が一等でしたが、掲載はされませんでした。
黄金島はなかった - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ
「神川福士政吉」ですが、尹在石「石川啄木と『岩手日報』ー初期短歌「白羊会詠草ー」(『日本文化學報』第58輯)という論文がネットで読め、福士政吉が姓名で神川は号だとわかりました。
一等二等ともに掲載されなかったので、福士政吉をこれ以上調べても、弦斎につながる情報を出てこなさそうです。しかし、村井弦斎の正真正銘の小説第一作『黄金島』、もし現存しているなら読みたいものです。