核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎 『核時代の想像力』 新潮社 2007

 「そして翌年(引用者注 1955年)、ヘルシンキでもサルトルは演説をしましたが、それは核兵器の禁止ということは、全面的な軍縮への展望、核兵器のみならず、あらゆる意味での兵器の軍縮という展望にたって論じなければならない、という考えかたを示すものでした」
  大江健三郎 講演 「核時代への想像力」 1968年5月28日 於 紀伊国屋ホール
  引用は、大江健三郎 『核時代の想像力』 新潮社 2007 111ページより
 
 おお、核兵器および「通常兵器の」廃絶ですか。ここまでは同意(大江じゃなくサルトルに)。
 
 「昨一九六七年、サルトルが日本にきましたときに、あらためて中国の核実験についてどう考えるかということをたずねますと、中国がアメリカの核兵器のもとで永年やってきた以上、アメリカの、核兵器に対抗するためには、核兵器をもたざるをえないとして、それを事実、もつにいたったことを評価する、という意見でした」
   同書 111~112ページ
 
 アメリカの通常兵器には反対で、中国の核兵器には賛成?同意できません。サルトルにも、それを「核戦争にたいする根源的な見かたのすぐれたかたちとして評価したい」という大江にも。
 前置きが長くなりました。
 原子力発電について、1968年5月当時の大江健三郎がどう発言していたか。それが本題です。
 
 「現に東海村原子力発電所からの電流はいま市民の生活の場所に流れてきています。それはたしかに新しいエネルギー源を発見したことの結果にちがいない。それは人間の新しい威力をあらわすでしょう。
 (略)
 核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」
  同書 120ページ
 
 福島第一原子力発電所は1967年に着工し、1970年に試運転を開始した、といえば、先の大江発言の時代背景がおわかりいただけるかと思います。
 
 大江健三郎について言いたいことはまだあるのですが、とりあえず入手可能な全作品・全発言を読んでからにします。
 とりあえず、『宙返り』(1999)なる小説を読む限りでは、作者が原子力発電そのものに反対していたとはまったく読み取れませんでした。このブログの更新が滞ったのも、この小説を読んでひどい絶望感にみまわれたのが原因なのです。
 
 教訓。やっぱり文学史は大事です。
     特に1968年5月という病んだ時代については。