「そして翌年(引用者注 1955年)、ヘルシンキでもサルトルは演説をしましたが、それは核兵器の禁止ということは、全面的な軍縮への展望、核兵器のみならず、あらゆる意味での兵器の軍縮という展望にたって論じなければならない、という考えかたを示すものでした」
引用は、大江健三郎 『核時代の想像力』 新潮社 2007 111ページより
「昨一九六七年、サルトルが日本にきましたときに、あらためて中国の核実験についてどう考えるかということをたずねますと、中国がアメリカの核兵器のもとで永年やってきた以上、アメリカの、核兵器に対抗するためには、核兵器をもたざるをえないとして、それを事実、もつにいたったことを評価する、という意見でした」
同書 111~112ページ
前置きが長くなりました。
(略)
核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」
同書 120ページ
福島第一原子力発電所は1967年に着工し、1970年に試運転を開始した、といえば、先の大江発言の時代背景がおわかりいただけるかと思います。
大江健三郎について言いたいことはまだあるのですが、とりあえず入手可能な全作品・全発言を読んでからにします。
とりあえず、『宙返り』(1999)なる小説を読む限りでは、作者が原子力発電そのものに反対していたとはまったく読み取れませんでした。このブログの更新が滞ったのも、この小説を読んでひどい絶望感にみまわれたのが原因なのです。
教訓。やっぱり文学史は大事です。
特に1968年5月という病んだ時代については。