核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎 「治療塔惑星」

 5月12日の記事で「治療塔」を紹介した時に、恒星間移民宇宙船の動力についてふれてないのは無責任だ、と書きましたが、訂正してお詫びします。書いてありました。
 
 「スターシップ公社がロケット打ち上げに向けて反対の態度を崩さず、最終段階の燃料積み込みに協力しないなら、死を覚悟している乗組員全員の合意において、宇宙ロケットの原子炉は破壊されるはず。それは近接する東京地域の四分の三を壊滅させる核爆発となろう」
 
 …やっぱり原子炉だったんかい。しかもまたテロに使おうとしてるし(「ピンチランナー調書」の項をご覧ください)。
 まあ、作者が無責任ではなかったことは確かなのですが、「大出発」とよばれる宇宙移民が核技術によってなされていることに、作中の誰一人として異議をとなえていないのは気になるところです。
 
 さて、続編「治療塔惑星」に入ります。
 前作「治療塔」は、大出発に参加して異星の遺跡「治療塔」での若返りを体験した朔ちゃんと、荒廃した古い地球で悲惨な半生をおくってきた「私」と称する語り手リッチャンとの間に子供が生まれ、「新しい人」の到来を予感させる場面で終わりました。「治療塔惑星」はそれから数十年後、再び宇宙へ旅立った朔ちゃんへの、リッチャンの手紙という形で(今度はですます調で)語られます。
 要約しますと、治療塔は古い地球でも新しい地球(治療塔が発見された惑星)でも、新たな戦争の原因になってしまったわけです。
 水爆を武器に、治療塔の技術を独占しようとする勢力が古い地球で起こした「アマゾン世界大戦」。
 新しい地球では、ユダヤ・キリスト・イスラムを統合した「世界宗教」のカリスマ、サンバル司令官の「叛乱軍」が勢力を持ちます。古い地球から治療塔めあてにやってきたアウトサイダー(不法移住者)と「叛乱軍」との間に争いが起り、ふたたび新しい地球を訪れた朔ちゃんは「叛乱軍」(今では彼らが新しい地球の正規軍なのですが)の側に立ちます。サンバル司令官は最終的に、「本当にきれいな原爆」の使用によって、治療塔の大半もろともアウトサイダーを壊滅させます。
 二つの核戦争をどうにか生き延びた人類(朔ちゃん親子含む)は、治療塔を作り出した宇宙精神の意志を理解するために、「宇宙少年十字軍」なるものを計画します。治療塔体験者と地球残留者の間に生れた素質のある三十人の子供に「処置」をほどこすことで、宇宙精神との交信の媒体にしようというのです。
 リッチャンは積極的にこの計画に息子タイくんを参加させるのですが、この計画に反対する団体は、「処置を不可能にするために、公社の原子力発電室を爆破」するテロ行為に出ます。
 (…まだ原発廃止してなかったんか。そしてまたしても原発テロ)
 処置はどうにか完了したものの、宇宙移民(朔ちゃん含む)と古い地球との連絡はとだえてしまい、宇宙少年十字軍計画は竜頭蛇尾に終わります。小説そのものも竜頭蛇尾の感をいなめないまま、「世界宗教」の信者となった老リッチャンが、成長して建築家となり原爆ドームの再生プロジェクトに携わるタイくんに未来を託すところで終わります。
 
 ……どうして大江健三郎は、「世界宗教」だの「宇宙少年十字軍」(イスラム圏の方が納得すると思いますか?)だの「救い主」だのといった、手あかと血にまみれた言葉でしか未来を語れないのでしょう。
 客観的に読む限り、「世界宗教」なるものが新たな核戦争を引き起こした元凶であるとしか思えないのですが、朔ちゃんリッチャン夫婦は「世界宗教」にまったく疑問をいだいていません。作者も同様でしょう。
 大江健三郎の宗教観が危険なものであることは、私もかつて「オオエ真理教」と揶揄してきましたが、そんななまやさしい言葉では言い足りないようです。
 
 私にとっては因縁のある、「宙返り」をもう一度読み返して報告したら、大江健三郎論はしばらくお休みにします。まだ読んでない作品もありますが、大江健三郎の思想の限界はそろそろ見えてきたので。
 予告していた「政治少年死す」は、石原慎太郎の「狼生きろ豚は死ね」(ひどい題)とセットで、いずれご紹介します。未刊行作品も扱えるのがネットのいいところです。
 
 最後に、私自身の宗教観を一言で申しますと、「かつて宗教のあったところに、文学をあらしめよ」です。
 大江健三郎のやっていることは、その逆としか思えません。