核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

矢野龍渓 「不必要」(1907(明治40)年)における「誇り」と「気概」

 低迷しきった明治40年の小説界に、世界平和論を高らかに宣言した矢野龍渓最後の小説!
 なんですけど、やれ自然主義だの夏目漱石だのに浮かれる文壇からは無視されたことは、ブログを始めたころの記事で書きました。2011年のひなまつり。
 ここであらためて取り上げるのは、最近読み返してみて、「気概」および、それと隣接する概念「誇り」についての記述をここに再発見したからです。以下、引用。
 
 「誇りの心は総ての人の生命である、如何なる人と雖も、其心に何か恃む所の無い者はない、(略)自身の有様に於ては、絶て何等の誇るべきことなき者すら、尚ほ誇りの種子がある、其の祖先を以て誇とする、〈略)其の容色を誇り、其の父兄の地位を誇り、其の夫の材略を誇り、人品を誇り、我が衣装を誇り」(二 朝桜)
 
 「決闘を申込まれたに対して、此方からあやまりに行くとは、余んまり気概がないじやア無いか」(三十 絶交)
 
 ・・・引用、終わり。『毎日電報』4月15日~5月24日連載の初出コピーは一部しか持っていないので、筑摩書房の『明治文学全集 矢野龍渓集』によったことをおわびしておきます。分析はまた後日。