交通と情報流通の進歩が世界平和をもたらすと、小説「不必要」(一九〇七(明治四〇))の主人公は楽観的な平和論を語ります。
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此れ程ど交通が日々に発達すれア、各国の人民同志が懇意にならずにア居られない。
(略。各国の議員、労働者、新聞記者、商業の交流が盛んになるだろう)
それでどうして、昔のやうに戦争を仕て居られる者か、色々な方面から、戦を止める様な事柄が、目論まれて来る、或は列国の兵備制限問題も起るであらう、又、国際間の紛議をば、必ず一たびは列国の仲裁裁判に附するの議も生ずるであらう、種々様々の形を以て現はれるとも、帰する所は世界平和の傾きである、
(筑摩書房『明治文学全集一五 矢野龍渓集』一九七〇 二一八~二一九ページ)
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……「ならなかったじゃないですか」というご意見を、かれこれ十年前の学会発表でいただきました。
当時は彼を納得させるだけの反論を出すことはできませんでした。
今考えると、答えは「不必要」のすぐ後の箇所にありそうです。
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併(しか)し、僕が、かう言ふからとて、僕は直に一国の兵備を弛(ゆる)める論者では無い、苟も禍心を包蔵して呑併を志す強国が、一ヶ国でも有る上は又其国を制圧する仕組の確立する迄は、護国の必要上から、我国などの兵備は、少しも減縮する訳には行かぬ、減縮どころでは無い、事に寄ると、一層も二層も拡張しなければならぬ、
(筑摩書房『明治文学全集一五 矢野龍渓集』一九七〇 二一九ページ)
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問題は、そう考える「我国」は、日本だけではないことでして。
複数の大国が、隣国を野心を抱く強国とみなし、「我国」だけは護国のために軍備を拡張しなければならぬと考えたとしたら。安全保障のジレンマが発生し、列国の軍備拡張競争となるわけです。
B・ラセットおよび武者小路実篤の分析に従えば、第一次世界大戦はそのために起こりました。
平和主義の先駆者である矢野龍渓を、私は尊敬しています。しかし、彼が軍備による平和という結論から出られなかったことは、残念に思います。