2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧
谷中村の足尾鉱毒問題を扱った伊藤野枝の作品「転機」。 引用は青空文庫より。 ※ 底本:「伊藤野枝全集 上」學藝書林 1970(昭和45)年3月31日第1刷発行 1986(昭和61)年11月25日第4刷発行 初出:「文明批判 第一巻第一号、第二号」 1918(大正7)年1月、2…
だいぶ前に図書館で読んだ本です。文句をつけたいところもありますが、それはそれとして、「差別と文学」を論じるなら押さえておきたいと思いました。
私は論文を書くのに、テーマ曲を必要とするタイプの文学研究者です。 今回、伊藤野枝「火つけ彦七」論のテーマは、私にとって懐かしの曲(映画『ラ・ブーム』はいまだに観ていません)、"Reality"でいこうと思います。一九八〇年当時から憂鬱な小学生だった…
もうちょい、昔のガンダム話を。一九九四~一九九五。ポスト冷戦下の作品です。 これまでの宇宙世紀ものガンダムシリーズと異なり、地球連邦に相当する統一政府は存在しません。ネオアメリカとかネオロシアといった、二十世紀末の流れをくむ諸国家が、それぞ…
最新作『水星の魔女』は見てないので(興味はすごくあるのですが)、昔のガンダムの話を。 実は『SEED』も本放送は見てなくて、『第3次スーパーロボット大戦α』というゲームで知り、ネットで補完したあらすじであることをお断りしておきます。 幼なじみの友…
伊藤野枝、もっと早く読みたかった。久しぶりに私が求めているタイプの小説と出会えたと感じています。 被差別部落を扱った作品なのですが、島崎藤村『破戒』などよりもはるかに苛烈な、とにかく救いのない話です。差別と暴力と報復の連鎖。感動というのとは…
リオタールも読んでいないのに先走り気味ではありますが。 「大きな物語の終焉」といわれる現代。ポストモダン(近代以後)とか呼ばれていますが、どうも私に言わせれば、モダン(近代)と、言うほど大きな差はないようです。 どちらも戦争の時代に変わりは…
ごく短い作品なので、あえて全文引用します。 ※ 王となるか、王におつきの使者となるか、選択を申し渡されたとき、子供の流儀でみながいっせいに使者を志願した。そのため使者ばかりが世界中を駆けめぐり、いまや王がいないため、およそ無意味になってしまっ…
いや、リオタールのいう「大きな物語の終焉」というのは、源氏物語を読み終えたとかそういうんじゃないことぐらいは承知していますが。 ついでに言うと、私は「ポスト・モダン」とか「大きな物語の終焉」といった標語も疑わしいと思ってはいますが。 国会図…
WIKIBOOKS様より、『更級日記』の一節の現代語訳を引用します。 ※ 世の中には物語りというものがあるのを(聞き)、どうにかして読みたいと思いながら、することもない昼間や、夜の起きている時などに、姉や継母などの人々が、その物語、あの物語、光源氏(※…
ZOOMで参加できるか、問い合わせてみようと思います。
「おたく/オタク」というのは、かつては二人称として使われていました。やや距離のある相手に対しての。 私の古い記憶では、『超時空要塞マクロス』〔一九八二)というアニメの男性主人公が、会話相手(年上の女性)に対して使っていた記憶があります。 転…
予測と代案、と言い換えてもいいのですが。 その二つは別のものです。「どうなるか」の見通しがつかない状態だからといって、「どうするか」の行動案を持たなくていいことにはなりません。 先日、わけあって大塚英志・東浩紀の対談集を読んだのですが、なあ…
一九八〇年代に書かれた論文をもとに、一九九一年に刊行されたこの本。 ※ マルクスには(引用者注 マルクス・レーニン主義とは)他の解釈も成り立つ。そして今後数十年の間には、豊富な思考や応用が想定でき、おそらく実行に移されるであろう。それによって…
まず、西川長夫が国民国家を批判しながら、その代案を出さない理由を述べた箇所を再掲します。 ※ 第二は、歴史の考え方にかかわってきますが、歴史にはつねに意外性があって、とりわけ現在のような五百年来の大転換期にあっては、未来の予測は困難である。ウ…
伊藤野枝で検索してみると、青空文庫に読み切れないほど大量の文章が出てきました。青空文庫は年代順ではなくアイウエオ順で並んでいるので、改めて「伊藤野枝 戦争」で検索してみたところ、以下の文章が。 ※ 欧洲戦争の為めに洋紙の価が非常に高くなりまし…
そもそも大杉栄についても通りいっぺんのことしか知らないのですが、大杉と共に殺された伊藤野枝についてはまったく知りませんでした。ウィキペディアの記事を読み、その仕事量と先行論の多さに驚いているところです。 詩や小説も書いていたとのことです。彼…