核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

フロイト 「戦争と死についての時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)

 田村公江訳。
 第一次世界大戦のさなかに書かれたにも関わらず、非常に冷静な文章です。しかし、例によってフロイトの意見には納得できません。
 近代人は死を自分とは無縁に思ってきたが、戦争という現実はそれを変えつつある、という分析の後、フロイトはこう結論します。
 
   ※
 しかし戦争が廃止されることはないだろう。諸民族の生存条件がこれほどまでに多様であり、諸民族の間の反発がこれほどまでに激しいものである限り、戦争は存在せざるを得ないだろう。そこで次のような疑問が生ずる。われわれは、膝を屈して戦争に適応するような存在であってはならないのか。われわれは、認めるべきではないだろうか。死に対する文明的な考え方によって、われわれは、心理学的にはむしろ分不相応に生きてきたのだ、と。おそらくわれわれは、改心して、真実を告白すべきなのだ。
 (165ページ)
   ※
 
 戦争は廃止できない。だから「改心」して戦争に「適応」しろ。それがフロイトの戦争観です。
 この文章だけではありません。症例「狼男」で有名な「ある幼児期神経症の病歴より」でも、強迫神経症者が軍隊の制服や武器や馬に熱中し始めたことを「よりよく昇華されることになった」と述べています(同全集72ページ)。病んでいるのはどちらでしょうか。狼の悪夢におびえてるほうがよっぽど健全です。
 フロイトは別に戦争を讃美しているわけではありません。帝国主義戦争を革命のチャンスと歓迎したようなマルクス主義者たちに比べれば、「戦争は止めようがないから我慢しよう」というフロイトのほうがまだまともです。
 しかし、人間心理の専門家を自称しながら、戦争を引き起こす「諸民族の間の反発」をほったらかしにして(晩年はユダヤ人問題にも取り組みましたが・・・、「モーゼと一神教」も私には納得できません。なにひとつ)、膝を屈して戦争に適応せよと説くフロイトを、私は尊敬することはできません。