核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ヤウス『挑発としての文学史』(轡田収訳 岩波書店 1976) その2 カール・ポッパー関連

 予想外に手間取りました。いつもなら元の文章をそのまま引用してすませるところですけど、どうも訳文が硬くて。
 こういうことだろう、と自分なりに見当をつけてまとめてみます。
 ポッパー(Popper。「ポパー」と表記されることも)という人は科学哲学では知られた人でして。一言でいうと、科学は己の間違いを認めることによって進歩する、という考えの人です。
 たとえばマイケルソン・モーリーの実験というのは、エーテルの性質を調べるのが目的だったんですけど、どうも従来の理論通りの結果が出なかった。間違っていたのは理論か実験結果か、いろんな人が追試を重ねた結果、どうもエーテル自体が存在しなかったという結論に落ち着き、現代物理学の新たな展開が始まった・・・。
 というように、障害物にぶつかることで人間は現実と接触し、誤謬から(少しずつなりとも)抜け出していける、とここまでがポッパーの思想。
 『挑発としての文学史』のヤウスは、このモデルの「文学」への応用を試みます。文学の読者のいいところは、実人生で障害物にぶちあたる前に疑似体験できるところにあると。ここから引用。
 「文学の期待の地平が歴史的な生の実践の期待の地平よりもすぐれているのは、それが実際の経験を保存するばかりか、実現されなかった可能性を予見し、社会的行動の限定された活動範囲を、新たな願望、要求、目標に向かって押し拡げ、それによって未来の経験の道を開くからである」(69ページ)。
 はたしてポッパー主義は文学に応用できるかどうか。私はヤウスの意図するところがどうもつかめていないので(「経験を保存する」ってどういう意味でしょうか。「経験を節約する」ならわかるんですけど)、もう一度読み直してから結論を出すことにします。