核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

筒井康隆『文学部唯野教授』(一九九〇)雑感

 もう三十年も前ですか。この小説で文学理論の初歩を、というよりも文学理論なるものの存在を知ったという方も多いようです。私もその一人です。

 私は筒井ファンですが、この小説だけは初読時からどうも好きになれないです。第一に斉藤由貴(同書では斎籐由貴表記ですが誤り。「束大」「兀川賞」のような意図的な仮名かも知れませんが)の悪口が書いてあるから。「おニャン子から直接評論家になった」とありますが、斉藤由貴おニャン子クラブではなくミスマガジン出身であることは常識です。当時の彼女がちょっと文化人気取りで、筒井康隆『着想の技術』の解説なんかも書いてたことは確かですが。私は『スケバン刑事』からのファンです。

 第二は小林秀雄を褒めているから。受験生(正確には中学浪人)だったころから嫌いだったのです。「神様なみの教養」なんて書いてあり、当時はそんなものかと思いましたが、今ではいかに彼の「教養」があてにならないか分かりました。

 第三は、そもそも文学理論を読者に啓蒙しようという、上から目線が気に食わなかったこと。これも今再読してもそう感じると思います。デリダやバルトがそんなにえらいのかと。

 そういえば、ノースロップ・フライって最近言及されないですね。神話と文学の関わりとか、あのへんは当時ファンタジー作家志望者だった私には興味ありありだったのですけど。

 しかし、本当に読み取るべきは「財産のないやつは学者なんかめざすな」という、ブルデュー的な教訓だったのでしょう。まさか助手にさえなれないとは、タダノ博士には思いもよらなかったのでした。私の場合は財産以前に、人間性(人間ではない?)と学力の問題ですけど。