ここ二回ほど名前を出した矢野龍渓は、以下のような文学理論を残しています。
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事実を其儘に記載すれば小説に非ず歴史なり、風教を主として娯楽を興へざれば小説に非ず道徳書なり、世にあり得可き事柄をして世に有ることなき物語を組立て、世人に娯楽を興ふるものは是れ小説の本色のみ。
「浮城物語立案の始末」(一八九〇(明治二三)年)
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事実をそのまま書くだけ(そんなことが可能だとして)なら、それは小説ではなく歴史書。
お説教が目的で、面白くなければ、それは小説ではなく道徳書。
「あるかもしれない」出来事を集め合わせて、「あることのない」物語を組み立て、人に楽しみをもたらしてこそ小説。
……そういったところでしょうか。「事実をそのまま書く」と自称する、当時輸入されていた写実主義の文学理論とはまっこうから反する小説観です。実際、坪内逍遙は『小説神髄』で、矢野龍渓『経国美談』の人物造型を作り物と批判しています。以後、写実主義、リアリズムの文学観が文壇の主流になるにつれ、矢野龍渓は近代文学以前の人として、黙殺に等しい扱いを受けています。
写実主義、リアリズムの文学観の問題点は、「世に有ることなき」事態を描けないことです。たとえば世界平和実現後の人類について書こうとしても、そんな先例はなく実体験者もいないのだから、事実そのままを書く手法では書きようがありません。ところが龍渓の方法論でなら、世界平和を描けるのです。
龍渓は『経国美談』後篇で、当時はまだ実現していなかった国際平和会議を(その問題点も含めて)描き、『新社会』で陸海軍が大幅に削減された国家を描き、短編「不必要」で、身辺雑事を顧みずに世界大平和に邁進する主人公を描きました。文壇や文芸批評家からは黙殺されてきた系譜ではありますが。