11月8日に「日露戦争期には「筆の幸徳、舌の木下」と並び称された最強の非戦論者がユニットを解散した経緯については次回で」と書いてから(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/7052501.html)、だいぶ間が空きましたが、その2をお届けします。引用は筑摩書房『近代日本思想大系 10 木下尚江』(1975)収録の『野人語』(1910)より。(なんで明治の平和主義者は猿人だの野人だのと名乗りたがるのでしょうか)
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何故に予は彼と共に死ぬることが出来なかつた乎。(略)
彼は無神論者。予は基督教徒。彼は常に忠実に予をして「神」を棄てさせようと努力(つと)めた。或時の如きは汽車の中で、予を捉へて猛然と攻めつけた。(略)
『君、何卒(どうぞ)神を棄てゝ呉れ。君が神を棄てゝさへ呉れゝれば、僕は謹で君の為めに靴の紐を解く』。
予は殆ど狼狽した。
『君。無神論を棄て給へ。然れば僕は君の命令に黙従する』。
彼れの口吻を其のまゝ借りて、予は辛くも防戦した。
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部外者である徳冨蘆花の「謀叛論」(日本ペンクラブ電子書籍で全文が読めます→http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/study/tokutomiroka.html)と比べて、歯切れが悪い印象は否めません。いつかは私の手で木下尚江を裏切り者の汚名から救いたいのですが、それは別の資料を引用してすることにします。