核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

文学者の責任(村井弦斎『食道楽』より)

 このところロックの『統治論』と並行して、岩波文庫版の『食道楽』上下巻を読み返しています。
 村井弦斎を知ったのは十年近く前ですが、読み返すたびにつくづく、弦斎の人柄に親しみを感じます。この『食道楽』にしても、本当に「味がある」のは料理と関係ない部分に多いのです。
 執筆時(1903(明治36)年)の弦斎は富国強兵論者だったのですが(後に軍備廃絶論者になります)、国粋主義者ではありませんでした。次の引用文はそんな一例です。
 「君の料理法はあんまり西洋風に傾き過ぎているという評もあるぜ」という意見に、主人公の一人中川はこう答えます。
 
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 「負惜みの情は誰の心にも多少あるものだがいわゆる動物性の劣情でそれがために何事に向っても公平な観察を下すことが出来ん。(略)
 それを日本料理にも国粋がある、何ぞ西洋料理を学ばんやと言ったら負惜みに違いあるまい。といって何でも西洋風に限ると西洋風にばかり心酔して日本風の長処までを捨てるのも軽率に過ぐるけれども事物を公平に観察してその長短善悪を判別するのが我々文学者の責任でないか。文学者は決して情に溺(おぼ)れてはならん。理に遵(したが)って世人を誘導しなければならん」
 (村井弦斎『食道楽(下)』岩波文庫 2005 原著1903 223~224ページ)
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 文学者であることへの誇りと使命感にあふれた一文です。
 弦斎ら先人たちがカレーやトーストやアイスクリームを取り入れてくれたからこそ、日本人の今日の食生活はあるわけです。私は文学者というより文学研究者ですが、弦斎のこの気概は見習いたいと思っています。