核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

複雑な小説を、複雑なままに取り扱う

 入門書を何冊か読んだ程度の学力で、文学理論一般に異議を唱えるつもりはありません。ただ、ある種の文学理論に対する違和感をなんとか形にしたいとは思いまして。

 どの小説を読んでも同じような結論に達してしまう文学理論というのは、雑魚も大魚もまとめてかまぼこにしてしまう工場のようなもので、非常にもったいないことをしているのではないか、と思うのです。

 文学理論ですっぱり割り切れる小説もあることは認めます。しかし、そうではないタイプ、物語論構造主義で切るには複雑すぎる小説もあると思うのです。そうした複雑な小説を、複雑なままに取り扱うような方法はないものか。

 私は理論的アプローチ一般を否定する反知性主義者ではないつもりです。ただ、現時点でのある種の文学理論は、小説というものの複雑さ、豊かさをそのまま取り扱うには力が及んでいないのではないかと、違和感を抱いています。次の次ぐらいの論文になりそうですが、なんとかこの違和感を論にしたいものです。