両者はいずれも作家の内面の探究をめざすものであり、それらが極致にいきついたときには合致する……というような説を、筒井康隆『着想の技術』で読んだ記憶があります。その典型例ともいえそうなのが稲垣足穂『弥勒』。
厳密には私小説ではなく、「江美留」という人物の三人称ですが、どう見ても稲垣足穂自身でしかないアルコール依存破滅型詩人の半生が、詩的な心象風景や特異な人物たちとともに展開されます。第二部では生活苦が悪化して身辺無一物になってしまい、カーテンを巻き付けて寝ているうちに、江美留こそ弥勒であったという悟り(?)に達して終ります。
『弥勒』執筆後はどうにか立ち直れたらしく、昔の本が売れたり結婚できたりしたそうですが(そして前回引用した毒舌に至るわけですね)、『弥勒』からはとても想像がつきません。私にとっては『一千一秒物語』につぐ傑作です。