核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

保阪正康『近現代史からの警告』講談社現代新書 二〇二〇

 戦前の平和主義者、木下尚江は言いました。「社会主義、皇室中心主義、何れも誤り」。私も同意します。

 保阪正康近現代史からの警告』は、木下尚江こそ出てきませんが、従来の日本近代史を呪縛してきた唯物史観皇国史観の両方を批判し、それらとは違う帰納的・実証的な歴史検証を試みた本です。

 たとえば、日本が帝国主義国の道を選んだ理由について。唯物史観レーニンの定義を引いて「独占資本主義、金融資本主義の最終段階としての帝国主義」に至ったというでしょうし、皇国史観は大東亜解放のための聖戦というでしょうが、どちらも見当はずれです。

 保阪著によれば、帝国主義国家への起点は明治二三(一八九〇)年の第一回帝国議会における、山縣有朋首相の「主権線と利益線」演説でした(一三四頁より要約)。

 主権線とは国境のことで、利益線とは(誤解されやすい用語ですが、利益を得るための線ではありません)、国境の外側にあるが、国境を守るために重要な地域のことであり、具体的には山縣は朝鮮を意図していました。この方針が朝鮮への、ひいては大陸への侵略を決定づけたわけです。

 他人様の国を勝手に防衛ライン扱いしたわけで、実に身勝手な国防方針です。帝国主義への道を決定づけたのは明治天皇の意志でも独占資本主義でもなく、この山縣の演説だったといっていいでしょう。当時の議会ないし国民のそれを否定する能力がなかったのは(保阪著では帝国主義以外に日本がとりえた道を三つほど列挙していますが)、残念なことです。