もし時間を止められたら。
と考える人は多いらしく、SFやまんがにはしばしばそういう能力を持つ人物が登場します(「人間」でないケースもありますが)。しかし、その能力がよりによって死の確定直後に発動したとしたら?
「今は二十二日の夜だ。この夜のつづくかぎり(そしてあと六日のあいだ)ぼくは傷つくこともなく不死身なのだ」 などと、締め切りを直前にしたアンタルキダスのように往生際の悪いヤロミールですが、ついに死刑前日の夜が訪れます。彼の最後の心残りは、書きかけのまま終わった劇作品『敵』のこと。一晩かけても完成しそうになく、闇の中で彼は神に祈ります。
「もしわたしがかりにも存在するものであるならば、もしわたしがあなたのくり返しとあやまちの一つでないとするならば、わたしは『敵』の作者として存在するものであります。
わたしの存在を正当なものとし、あなたをも正当なものとするに役立つこの劇をうみだすためには、あと一年が必要です。
数々の世紀とすべての時をおもちのあなたよ、わたしにそれだけの年月をお許しください」
そして当日8時44分。銃殺隊が整列し、号令がかかった瞬間、奇蹟は起こります。
「時間は止まってしまった。(略)ドイツ軍の弾丸は決められた時間に彼を殺すだろう。しかし、彼の心の中では、射撃の命令とその実行のあいだに一年が経過するだろう」
ありがたいんだか意地悪なんだかわからない秘密の奇蹟の中で、彼は与えられた一年の主観時間の中で、ほっぺたで静止したままの水滴を気にしながら、最後の作品『敵』を完成させようとします。
「彼は後代のために仕事をしたのではなかった。
神のためでさえなかった。
神の文学上の好みについては彼はほとんど知らなかったのだから」
う~ん。まさに文学者の鏡。
と言いたいところですが、無茶な締め切りに間に合わせるのも技量のうちと考える無神論者のアンタルキダスとしては、これはズルです。文学者が仕事の完成をムーサイ以外の神に祈ってはいけません(私はホメロスをこよなく尊敬していますが、本音を言えばムーサイもなしです)。
かくいう私も事情があって、4月末まではどうしても生きていたいのですが…ひとつ、実験してみますか。
「神よ。もし存在するならば、1分以内に私に死をあたえたまえ」
はたして内緒の奇蹟は起こるでしょうか。