2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧
皇帝暗殺には一貫して批判的だった尚江ですが、皇室礼賛者ではありませんでした。教文館『木下尚江全集』第二十巻より。 ※ ・昭和四年九月二十三日 ○ 社会主義、皇室中心主義、何れも誤り。 (青木吉蔵編 『木下尚江翁語録』) 木下尚江は(略)軍国主義のさ…
大逆事件の5年前。『新生活』よりもさらに前、キリスト教社会主義の機関誌『新紀元』に木下尚江が書いた皇帝暗殺否定論です。 ※ 六月二十二日諾威皇帝の戴冠式に際し、瑞典皇帝を暗殺せんとの陰謀発覚したりと伝ふ、吾人は無政府党の実行手段に向て絶対的反…
大逆事件の3年前。社会主義運動を離れた木下尚江は、個人雑誌『新生活』で非暴力主義を訴え続けていました。以下の暗殺否定論もその一つです。 ※ 此の不人望の皇室は、圧制皇帝の血の高価を払つて、多少愛燐の同情を買ふことが出来たであろう、(略)或は正…
フォーリンアフェアーズ誌のサイトから、イラン攻撃是非についての議論をリンクしておきます。 http://www.foreignaffairs.com/features/collections/the-iran-debate-to-strike-or-not-to-strike この程度の英文でも、私にはけっこう手間がかかるので。突っ…
ちょっと気を抜いた間に、深刻なニュースが入ってきました。Yahooニュースより転載。 ※ 時事通信 2月5日(日)14時35分配信 【ワシントン時事】米国内で対イラン攻撃をめぐる議論が過熱してきた。オバマ政権幹部が相次いで、イランの核開発進展への危機感や、…
ウィキペディアでハイジを検索したところ、以下の続編情報が入りました。 ※ 石川淳「アルプスの少女」(『おとしばなし集』所収 集英社 1952年11月) 『戦後短篇小説再発見〈10〉表現の冒険』(講談社文芸文庫 2002年3月)に再録 戦争が起こり、ペーターは兵…
メイド、メガネっこ、ツンデレと、時代を四十年は先取りしたキャラ。 テレビ静岡での再放送はたぶん明日あたりで最終回。デレてほしいものです。「アーデルハイト。あなたには感謝しなくては」みたいな感じで。
643年(皇極天皇の2年)、11月1日。蘇我入鹿(そがのいるか。蘇我馬子の孫)が政敵、山背大兄王(やましろのおおえのみこ。聖徳太子の子とされる皇族)を襲撃した事件。 ※ 大兄王は答えて、(略)「自分の一身上のことがもとで、どうして万民に苦労を…
日露戦争終結から3年後の1908年。かつて固く団結していた非戦論者たちは、議会派・直接行動派・トルストイ的人道派などに分裂していました。これは直接行動派の指導者であった幸徳秋水が、木下尚江が主宰する非暴力主義の雑誌『新生活』に向けた批判で…
岩佐正 校注。岩波文庫、1975年。「じんのうしょうとうき」と読むそうです。 南朝の重鎮だった親房(昔の大河ドラマでは近藤正臣でした)が、南北朝の動乱のあいまをみて書いた歴史書です。さぞかしイデオロギー色に満ちているかと思いきや、『愚管抄』…
尊敬する木下尚江の文でも、ダメなものはダメというのが私の主義です。ただ、「露西亜が南の方」だけ読まれると、木下尚江が粗雑な善悪二元論者だったかのように思われかねないので、そうではない文も紹介したいと思います。 ※ 悪人を主人公にして書いて居た…
以前に紹介した、早稲田大学文学学術院所蔵 木下尚江資料集(http://www.littera.waseda.ac.jp/kinoshita/index.html 92~96ページ)より、全集未収録文、「露西亜が南の方」(書き出しの一節であり、著者がつけた題名ではありません)を紹介します。 全…
筑摩書房『世界文学大系 63 ギリシア思想家集』(1965)69ページより。長坂公一訳。 ※ そこで要するに、わたしはこう主張します。 われわれは、キオス人、ロドス人、ビュザンチオン人に対してのみならず、全世界を相手に平和条約を取り結ばなければ…
博士論文提出の前段階の申し込みを郵送してきました。 作業量は全然たいしたことなかったんですけど、疲れで一日ブログの更新を休んでしまったことをお詫びします。 以下の通り。ページ数が書いてないのは、3月2日の提出までに書き直したくなる可能性を考…