核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

平和主義全般

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その1

『常葉大学教育学部紀要.』二〇一六年三月。今回は『論語』の反戦思想に絞ります。 孔子本人が必ずしも平和主義者ではないことは前回も述べましたが、弟子の中には例外が。 「顔回」という固有名は論語本文にはでてきませんが、定説では顔回のことと解釈され…

孔子曰く「戦争しかない」

丸山穂高という衆議院議員が、北方領土を取り返すには戦争しかないと酒席で発言し、党から除名されるという事件がありました。まったく、国益を損なう暴言としかいいようがありません。 なんか、『論語』で似たような話を読んだような気がして確認してみたの…

中村不二夫『現代詩展望Ⅳ―反戦詩の方法』誌画工房 二〇〇五

「イラク戦争反対、ブッシュよ恥を知れ、ということは小学生でも言えるし、簡単に書けてしまう(略)戦争が起きてから戦争反対と言っても何も始まらないし、それでは遅いのである」(一〇六ページ)。 中村氏はそうした声高だが浅薄な反戦詩を批判し、クロア…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その3

「宋襄の仁」(戦場で敵に情けをかけたために敗れた例)をめぐって、『春秋左氏伝』と『春秋公羊伝』は真逆の評価を下しています。まず前にも紹介した『春秋左氏伝』から。訳文は今回は濱川論に依拠します。 「宋の大臣の子魚が言った。「(略)敵の傷がまだ…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その2

前回は濱川論文より、春秋時代の平和主義的言説を紹介しました。 しかし一方では非平和主義な人々もいまして、そちらのほうが多数派かもしれません。 同じく濱川論より引用。()内は注釈です。 「なぜ、火で攻めたことを言うのか。始めて火で攻めたことをに…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(4)―『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』『春秋左氏伝』―」 その1

『常葉大学教育学部紀要』二〇一九年三月。 中国古代の歴史書、春秋三伝を分析し、絶対平和主義に至る思想を抽出した、すばらしい論文です。 以下、目についた発言や記述を引用します。出典・年代・発言者は今回は省略で。 「人を殺すことで自分が生きのび、…

弭兵再論―人間性のちょっとだけ低い部分に訴える平和主義―

2014年の7月12日に引用した、向戌の弭兵論に関する記事を再掲します。今度は、絶対平和主義の起源は宗教特にキリスト教である、という意見への反証として。紀元前五四六年の話です。 ※ 宋の向戌(しょうじゅつ)は晋の趙文子(武)とも、また楚の令尹…

滑りやすい坂に階段を

絶対平和主義・平和優先主義・正戦論の関係を図示してみます。 絶対平和主義(すべての戦争に反対) / 平和優先主義(ほとんどの戦争に反対) /ラッセル(ナチスドイツとの戦争には賛成) 正戦論(不正な戦争に反対。正しい戦争には賛成) 「/」で示したのは…

バートランド・ラッセルは平和優先主義者か

まず松元雅和氏の『平和主義とは何か』より、ラッセルの言動を。 ※ ラッセルは第一次世界大戦時、教職追放や投獄の憂き目を見てまでイギリス参戦に反対したが、ヒトラーを阻止するための第二次世界大戦参戦には賛成した(それどころか、冷戦初期のごく短期間…

ガンジーとは違ったモデルを

「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」という言い回しがあるように、ガンジー(ガンディーとも。今回はガンジー表記で統一)は非暴力主義・平和主義の代表者と一般に見なされています。ガンジーと比較して日本の九条護憲論者の不徹底性をあげつらうのも、改…

反戦文学は何に訴えるべきか

ここ三年、年に一本のペースで反戦的な作品論を発表してきまして、私にしては上出来ではあるのですが、このペースではどうも追いつけないという気もしています。軍備拡張による「積極的平和主義」と称するものに向かいつつある風潮にです。 で、書く予定だっ…

文学は、反戦に協力することもできるはず

昨日の続きです。できるはずだと私は思います。 たびたび当ブログが引き合いに出す宋の向戌(しょうじゅつ。紀元前五四六年の人物)は、「美しいことばづかい」によって史上初の国際平和会議を成功させました。 また紀元前四〇〇年代のギリシアの喜劇作家ア…

文学が戦争に協力できるならば……

文学者の戦争協力、という問題提起があります。戦争を賛美し煽り立てるような文学作品を書いた文学者には、戦争に「協力」した責任を問われなければならない、という議論です。 私も文学者の戦争協力という問題意識は共有していまして、だからこそかつて小林…

外池力「トドロフの思想と他者系列」(『政経論叢』 77(5・6), 749-775, 2009-03 )

トドロフという方、ただの構造主義者ではありませんでした。思想家です。 外池論文より、スターリン主義(全体主義)について。文中の「コルイマ」とは、アウシュヴィッツに匹敵するスターリン政権下の強制収容所だそうです(ウィキペディアより。不覚にも最…

兵備の平和と真正の平和

百年以上前、福地桜痴はこう書きました。 ※ 欧州今日の平和は真正の平和に非ず兵備の平和なるのみ 一八八四(明治一七)年一〇月二日『東京日日新聞』社説「欧州の侵略主義」 ※ 軍事力の均衡による平和など、「真正の平和」の名に値しない、という趣旨です。…

壺井繁治「頭の中の兵士」(『戦争に対する戦争』(一九二八)

反戦小説集『戦争に対する戦争』の、最後に収録された短編。 反抗的な兵士が憲兵に頭を撃たれると、頭の中から小さな兵士たちが現れ、近くの建物に去っていくという話です。今のところ意味不明ですが、戦争に対する暴力的抵抗を扱った同書の中では、小川未明…

シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店 二〇一九)その1

山本圭・塩田潤訳。 この本はいずれ何度も読み、何度も感想を書くことになると思うので、今回は簡単にします。 まず章立て。 序論 1 ポピュリズム・モーメント 2 サッチャリズムの教訓 3 民主主義を根源化すること 4 人民の構築 結論 付録 謝辞 原注 訳…

次は何をしたものか。

芥川論がまだ半分にも達していないのにですが。 昭和初期の『戦争に対する戦争』に手をつける前に、これまでの反戦文学の総まとめというか、振り返り的な論を書いてみたいと思っています。 星一は、村井弦斎は、武者小路実篤は、賀川豊彦は、そして芥川龍之…

ソフトウェア面からの反戦論

「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」という看板を掲げてきて、おろす積りはありませんが。 ここ最近(2019年)は、ハードウェアよりもソフトウェアからの反戦に関心が移っています。 芥川の「将軍」にも、確かに二八珊砲や軍刀の恐ろしさは描…

将軍のいない国家はない。

日本書紀によれば崇神天皇の代。春秋時代の中国にも、古代ギリシアにも、将軍に相当する職は存在しました。 国家の意志を体現し、国民を兵士化して戦わせる戦争遂行機関。 にも関わらず、将軍分析とでもいうべきものは余りにも少ないと思うのです。 芥川龍之…

被害者研究よりも加害者研究

たとえばひき逃げの被害者をいくら分析し、あるいは追悼しても、それだけではひき逃げはなくなりません。 ひき逃げをやった加害者をきちんと逮捕し、分析することなくして、ひき逃げ再発は予防できません。 戦争についても同じことが言えます。戦争の犠牲者…

非暴力型抑止力の展望

非暴力型抑止力が実現するとしたら、それはいかなる形をとるか。展望とも妄想ともつかないよた話を。 私の見込みでは、どうもハードウェアよりソフトウェアのほうに期待が持てそうです、ガンダムのミノフスキー粒子のような、長距離ミサイルを無力化する発明…

戸締りと軍備の違い

戦後の一時期、「戸締まり論」が流行ったそうで。他人の「公正と信義に信頼して」自宅に鍵をかけない人はいない(私も厳重に戸締りしてます)、それと同じように日本も再軍備するのが当然だと。現在でもそのように考えている人はいるかも知れません。 私はつ…

今年の課題。

おおみそかにも書きましたが、今年は「非暴力型抑止力」の理論化を今年の課題にしたいと思います。 新年そうそう縁起の悪い話ですが、人類ははるか太古から、暴力に対して報復の恐怖をちらつかせることで、暴力を抑止するという習慣に慣れ過ぎてきました。木…

来年の展望―非暴力型抑止力の構築にむけて

非暴力・非武装型平和主義の弱点は、暴力への抑止力を持たないことだと、ここ数年考えています。 抑止力があればいいというものではありません。軍事力による抑止力は、他国にとっては脅威となり、最終的には抑止力どころか戦争の引き金になりかねないという…

大賀哲「「テロとの戦争」と政治的なるものの政治学―シャンタル・ムフの国際政治思想への展開」 その4

ムフは普遍(universe)に対して多遍(pluriverse)を提示し、その方向からブッシュJrの「テロとの戦争」を批判します。 「文明/テロ」というブッシュJrの二分法は、一見シュミットの「友/敵」に似ているように見えて、そうではないとムフは論じます。相…

大賀哲「「テロとの戦争」と政治的なるものの政治学―シャンタル・ムフの国際政治思想への展開」 その3

「政治的なるもの」を忘却しているという理由で、ムフは各方面の政治思想を批判します。 特にロールズへの批判に一節を割いているわけですが、当方がロールズに詳しくないこともあり、この節の検討は後日に廻させていただきます。代わりに数日前に『マルチチ…

大賀哲「「テロとの戦争」と政治的なるものの政治学―シャンタル・ムフの国際政治思想への展開」 その2

まず、ムフ独自の用語である、「政治的なるもの」(the political)について。 ムフは一冊まるごと『政治的なものについて』なんて本も出してますが、一言で表現すると「対立」といったあたりになるかと。星新一ならひらがなで「ごたごた」と表現したかも知…

大賀哲「「テロとの戦争」と政治的なるものの政治学―シャンタル・ムフの国際政治思想への展開」 その1

『政治思想研究』二〇〇七年五月。副題の通り、ムフの国際政治思想についての論です。 辛めの評価も含めて、ムフを学ぶ者にとってはためになる論文です。 「はじめに」では、九・一一(二〇〇一年の航空機による大規模テロ事件。あれから二十年近くも経つん…

ムフもなあ……

私はここ数か月、ご承知のようにシャンタル・ムフという政治思想家に入れ込んでいるのですが。 蜜月時代を過ぎると、粗が見えてくるものです(だんなのラクラウ氏に怒られそうだ)。大戦略としてはムフの闘技的民主主義に賛成なのは変わらないのですが、ムフ…