核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

平和主義全般

塩津誠作「軍備縮小より全廃へ」 その2

塩津誠作は軍備による平和を「幻想」と断じ、全世界規模の軍備廃絶によってしか平和は来ないと結論しました。当ブログもそこまでは意見を同じくするのですが、問題はその過程です。 ※ 若し軍備を頼める国が、軍備なき他国に対し、無理を強要し、遂に干戈に訴…

塩津誠作「軍備縮小より全廃へ」(『外交時報』) その1

1928(昭和3)年4月15日(以前、3日と書いたのは執筆日でした)。国際連盟や不戦条約に満足することなく、大日本帝国憲法の改正(こういうのこそ本当の「憲法改正」です)すら視野に入れて、世界規模での軍備全廃を訴える、先進的な論文です。 ……つっこみ…

塩津誠作「軍備維持の幻想」(『国際知識』8(4) 1928(昭和3)年4月) 続き

「戦争以外の方法」って何なんだ、という問いには、この短文だけでは明らかになりませんでした。それでも、読むに値する箇所は多い文章です。 ※ 航空軍の発達と、新兵器の続出で、将来の戦争は、其の惨禍極めて大なるべく、戦闘員と非戦闘員の差別など、なく…

塩津誠作「軍備維持の幻想」(『国際知識』8(4) 1928(昭和3)年4月)

通常兵器の廃絶をめざすブログにふさわしいネタを。 ※ 国家の安寧保持の為め、軍備が是非必要であると言ふのは、畢竟幻想である。国家も個人と同じて(原文のまま)ある。喧嘩を売られても、之を買はぬ気なら、懐剣を持つたり、ピストルを持つて歩るく必要は…

蹄鉄理論、極右と極左の類似

当ブログは、おとといは大江健三郎の中国賛美を批判し、昨日は北原白秋の戦争詩を批判しました。おまえは右翼か左翼かどっちなんだ、と問われた時のために応えておきます。どちらでもなく中道であると。そして、お互いに激しく罵り合う極右と極左というのは…

M・ウォルツァー『正しい戦争と不正な戦争』(風行社 二〇〇八(原著一九七七) 予定)

ずいぶん古い本ではありますが、いまだに読んでいませんでした。 論敵である「正戦論」を知るために読んでおきたいところです。AMAZONでは高めなので、たぶん国会図書館で……。

絶対平和主義の奇手・妙手

「戦は経験のない者には甘美だが、体験した者はそれが迫ると心底から恐怖を覚える」というピンダロスの詩文が、松元雅和『平和主義とは何か』の巻頭に引用されています。後半(戦争の恐怖)はしばしば語られるところですが、前半(戦争の甘美さ)についての…

坂井米夫『ヴァガボンド・襄』(板垣書店 一九四八) その2 「裕仁さん」より

ヴァガボンド襄こと坂井米夫が、原爆投下前に書いた降伏勧告文「裕仁さん」は三四四~三五四の十頁に渡り、日本語反戦文学の最高峰と呼びたくなる力作です。内包された読者に届かなかったことが残念でなりません。 アメリカの威を借りて戦争責任を弾劾告発す…

坂井米夫『ヴァガボンド・襄』(板垣書店 一九四八) その1

この資料は私が発見したわけではなく、坪井秀人先生の『二十世紀日本語詩を思い出す』(思潮社 二〇二〇)の三四五~三五七頁より学ばせていただいたことをお断りしておきます。 在米日本人、坂井米夫が戦後まもなくに刊行した半自伝的小説。太平洋戦争下に…

「碁仇(ごがたき)は憎さも憎しなつかしさ」

藤沢秀行「囲碁入門」(土屋書店 一九八四)の一行目に出てくる、味わい深い川柳です。 文脈を拡大すると、シャンタル・ムフの「闘技」の思想、「敵」を「対抗者」に変えていくという思想にも通じるものがありそうです。 カール・シュミットのような、世界を…

単著刊行計画『どのように戦争を止めるか』

まだ副題すら固まっていない段階ですが。 現時点での案は、 『どのように戦争を止めるか―近代日本文学研究からのアプローチー』 です。「研究」を入れるかどうかとか、ちょっと迷っています。 向こう二年ぐらいをめどに。 明治・大正・昭和戦前期の文学者た…

戦争をなくすためにできること、その第1.5歩

以前、戦争をなくすためにできる第1歩として、「戦争を引き起こすタイプの指導者を見分け、彼らを民主的、非暴力的な手段で権力から遠ざけること」と書きました。 しかし、それは民主主義と平和主義を掲げる憲法のもとだからこそ可能な手段です。 自民党の…

堺利彦の日清戦争観と、その後

日露戦争前、内村鑑三、幸徳秋水とともに主戦論の『万朝報』紙を辞職した堺利彦。 日清戦争期はどうだったのかというと、 ※ 一八九四年七月には日清戦争が始まったが、当時の知識人たちの多くが、この戦争は日本にとって正義の戦いだと考えていた。日清戦争…

幸徳秋水の日清戦争観

内村鑑三が日清戦争の時には非戦論者ではなかった、とは広く知られています。 では、非戦論のもう一方の雄、幸徳秋水は日清戦争をどう見ていたのか。 で、『二十世紀之怪物帝国主義』の「征清の役」を読んでみたのですが、「日本人の愛国心は、征清の役に至…

星新一「白い服の男」

夏休みの読書感想文でも。原本は今手元にないので、ウィキペディアのあらすじを観ながら記憶を呼び戻してみます。初出は『SFマガジン』1968年9月号とのこと。 近未来、白い服の思想警察が、市民のプライバシーのすべてを監視する社会。といっても殺人…

戦争を知らない世代にできること

戦争の悲惨さを語り継ぐことで戦争を抑止しようとする方法―戦後日本の平和主義は主にその方法をとってきたわけですが―には欠点があります。 時代の推移とともに、戦争の記憶を語り継げる方々が減っていくという、悲しい現実です。 では、戦争を知らない世代…

次の論文、「反戦文学原論」(仮題)

シンプルに「反戦文学論」としたいところですが、黒島伝治がすでに使っていまして。しかもその内容は帝国主義国に対する戦争には賛成するという代物で、看板に偽りありです。 私が目指しているのは、戦争を阻止できるパワーを持った反戦文学を生み出すことな…

戦後SFから三つほど。

戦後日本にも、「何によって戦争を阻止するか」という問題に自覚的だった文学者はいました。 ぱっと思いつく限りで、SF的作品を三つほど。普通は反戦小説とは呼ばれない作品です。 三島由紀夫の『美しい星』は、空飛ぶ円盤を見て自分が火星人だと「気づい…

いっぽう戦後は……。

戦前の平和主義者たちの中には荒唐無稽なものもありますが、少なくともバラエティに富んでいたことは確かだと思います。 いっぽう昭和戦後を見ると。戦争の悲惨さを語り継ぐのはいいのですが、「その先」をめざす平和論が欠けていたことは否めません。戦争を…

反戦文学論の見通し

わが反戦文学論の眼目は、「何によって戦争を阻止するか」といったところになりそうです。 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」には、それが欠けていました。手放しで賞賛できないゆえんです。 日本で最初に「平和主義」という語を用いた矢野龍渓は、小…

シャンタル・ムフ『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』明石書店 二〇〇八

「政治的なもの」(”The political")の本質は何か。ムフによればずばり「敵対性」です。 それを忘れた政治談議が甘っちょろいのみならず、危険でもあることをムフは再三に及んで批判します(実は吉野家コピペ風に書こうと思ったのですが、今時通じないと思…

敵と共存する倫理と構造主義

ウラジミール・プロップという学者は、大量のロシア昔話を収集・分析し、構造主義の祖と言われるお人ですが。 「イワンは悪い魔女と平和的に共存する道を選びました。めでたしめでたし」 なんてのは、彼のコレクションにもないんじゃないかと思います。めで…

敵と共存するための倫理に向けて

小林秀雄を調べている関係上、「近代の超克」などという、ご大層な名前の座談会の記録も読んでみたのですが、その名にふさわしい知性ある言葉にはついに出会えませんでした。超克どころか逆行です。 本当の意味で、近代(おおざっぱにいうと、戦争と経済競争…

シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店 二〇一九)その3

『現代思想』誌の増刊号にも項目が立てられてまして、日本ではれいわ新選組との関連で語られることも多い左派ポピュリズムですが、私はどうも乗り気になれません。 ムフの『左派ポピュリズムのために』も、三行で要約しますと、 これまでは新自由主義(イギ…

教育勅語と共産党宣言

私は左派ではなく中道を自認しています。今回は左右両方から怒られそうな話を。 教育勅語と共産党宣言、一見対極に見える二つが、倫理的なレベル(の低さ)では大差ないという話です。 ※ 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛…

シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店 二〇一九)その2

次なる論文の着想を求めて、頭から通読してみました。 やはり、「左派」を名乗るのは、古ぼけたマルクス・レーニン主義を連想させて、せっかくのお客さんを逃がすことになるんじゃないか、というのが感想です。ムフ自身も110~111ページで弁明を試みて…

罪のない民間人≠罪のある兵士?

一九七九年に、梅川事件という猟奇的な銀行強盗殺人事件がありまして。 残酷な話なので詳細は避けますが、要は強盗犯が人質Aに、人質Bを傷つけるよう命じ、Aは恐怖からそれに応じてしまったわけです。Aの行為は同情すべきものであり、責められるべきでは…

「戦争は人を殺すことである」か?―内村鑑三への疑義

松元雅和『平和主義とは何か』(中公新書 二〇一三)より引用。 ※ 戦前日本の平和主義者内村鑑三が言うように、「戦争は人を殺すことである、璽(しこ)うして人を殺すことは大罪悪である」(『萬朝報(よろずちょうほう)』一九〇三年六月三十日付)。これ…

M・カーランスキー『非暴力―武器を持たない闘士たち』(二〇〇七)より、「二十五の真実」

カーランスキー氏の名著『非暴力』の末尾にあった、非暴力についての二十五の真実を引用させて頂きます。 「非暴力はこうあるべきだ」というよりも、「非暴力は歴史上こうでしかなかった」という論調です。私もその苦々しさを共有しつつ書き写します。「―」…

濱川栄「中国古代儒家文献に見る反戦思想(1)─『易経』『書経』『礼記』『論語 』─」.その2

同論文「四、『論語』に見る反戦思想」より引用。 ※ 「孔子がつつしんで対応したのは祭祀における物忌(斉)と、戦争と、病気であった」 「孔子の優秀な弟子であった曾子が、それ以上に優秀な弟子で孔子が最も愛した顔回(顔淵)について、「(略)害されて…