核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

芥川龍之介「将軍」

また「将軍」論に戻ってきたわけだが

現時点の構想のままでは、作品論としても平和論としてもどうにも弱い、と思うわけです。 で、支柱となる理論をあれこれ探しているわけですが、これが見つからなくて。 芥川版聖書「西方の人」「続西方の人」も読み返してみましたが、「汝の敵を愛せ」関係は…

大きな絵は描けそうもないけれど

谷崎潤一郎の「小さな王国」論を書いた時は、「大きな絵が描けそうです」なんて大言を叩いたものの、マルクス経済学対近代経済学という、おそらくは私の手には負えない大問題になってしまい、当分封印するはめになってしまいました。 芥川龍之介の「将軍」論…

将軍という存在

将軍という装置。構造。システム。呼び方はまだ決定していませんが、わが「将軍」論は、文字通り将軍とは何かを問う論になりそうです(乃木将軍やN将軍が何者か、ではなく)。 将軍とは「兵士を率いて国民のために戦う存在」、といったあたりが一般的な認識…

友敵峻別への嫌悪

ようやく芥川の「将軍」にとりかかる気になったので、ここ数日のシュミット論とどうつながるか、まとめてみます。 「将軍」の四つの挿話に共通しているのは、友敵峻別への嫌悪ではないかと。決死隊員のぼやきも間諜処刑へのためらいも強盗劇への失笑も・・……

カール・シュミット『政治的なものの概念』(一九三二) その3

平和主義でさえ、友敵概念の例外ではないというシュミットの批判。 ※ いかなるものもこのような政治の帰結(引用者注 友敵の分裂)を避けることができない。戦争に対する平和主義者の反対が平和主義者をして非平和主義者に対する戦いに追いやるほど、つまり…

カール・シュミット『政治的なものの概念』(一九三二) その2

核兵器および通常兵器の廃絶をめざす平和主義者こそ、まじめにシュミットを読むべきだと私は思うのです。ナチスの理論家シュミットが平和主義者であるからではもちろんなく、平和主義への徹底した反対者だからであり、そうした人との対話こそ平和主義を鍛え…

カール・シュミット『政治的なものの概念』(一九三二) その1

引用は『カール・シュミット著作集1』(慈学社出版 二〇〇七)より。 ※ 敵はhostis πολεμιος(ポレエミオス)であって、広義のinimicus εχθρος(エクトロス)ではない。ドイツ語は他国語と同様「私敵」と政治上の「敵」を区別しない。そこから多くの誤解や…

マルメロの原産地は?

「将軍」そのものについての考察が進まず、末尾に出てくるマルメロについて考えてみました。 芥川全集の注釈には南欧原産とあったのですが、ウィキペディアでは中央アジア原産となっていました。 図書館の図鑑で調べてみます。真の問題は芥川がどちらと考え…

将軍は必要か?

「将軍」で論文を書いたものかどうか、いまだに決めかねています。 書けない理由は以前に書いた通りですが、書きたい理由もありまして。 人類にとって将軍は必要か?、といったあたりです。 もちろん必要だ、という方もあるかも知れません。 国民を守るため…

非モデル論は成立するか?

「将軍」の最近の研究動向では、乃木希典をモデルに特定する必要はないという説が有力であり、私も当初はその線で攻めていたのですが。 どうも、乃木希典についての最低限の予備知識がないと、この作品は読めないのではないかという気がしてきました。特に下…

桃川若燕『乃木大将陣中珍談』(一九一二(大正元)年)

奥野久美子氏の論文によって、芥川龍之介「将軍」の材料とされている講談本。このたび完読しました。 白襷隊(決死隊)中である聯隊がパン聯隊と呼ばれていた話、二十八珊砲の音に驚く話、乃木が捕虜を露探(スパイ)と見なして斬らせる話、余興のピストル強…

「将軍」再考

今年中にどうにかもう一本は論文を書きたい。そうは思うものの新しい材料が見つからない。 で、今の問題意識(チキンホークとか近代的自我とか)から「将軍」を読み返してみたのですが。 芥川龍之介はチキンホークではないかわり、確立した近代的自我の持ち…

愛川弘文「芥川竜之介「将軍」試論--オルガナイザ-としてのN将軍」

『国文学論考』(18), p24-31, 1982-02。前から探していたのですが、このたび国会図書館内のデジタル検索で入手できました。 作中の「〈N将軍=乃木将軍〉という安易な短絡を避け」(同論文24ページ)るのは、今日の「将軍」研究の主流となっていますが、…

Washburn"Nogi"

https://archive.org/details/noginogi00washrich 上記のサイトで『乃木』の原文が見つかりました。便利な時代です。 私はろくに英語が読めないので、前に引用した箇所等にEYEとかMONOMANIAとかがでてくるかどうかだけ確認することにします。 ………

ウォシュバン『乃木』目黒真澄訳 一九一三(大正二)年

芥川の「将軍」には、「ある亜米利加人が、この有名な将軍の眼には、Monomania じみた所があると、無遠慮な批評を下した事がある」との一節があります。 で、アメリカ人ウォシュバンが書いた伝記『乃木』の日本語訳を読んでみました。 ※ 部下は言下に将軍の…

××に済まない。

じゃあ、芥川「将軍」中の日本兵たちを死地に赴かせる力は何なのかというと。 「日本魂」「酒の力」とかも出てきますが、兵士のセリフや心理描写で二回ほど「××に済まない」「何者かに済まない」という表現が出てきます。そのあたりの「負い目」が鍵のようで…

クラウゼヴィッツ『戦争論』の将軍論

「将軍はいかにして兵士を統率するか」といった文章を探して『戦争論』を読んでみた結果、かろうじて以下の箇所が見つかりました。 ※ (フリードリッヒ大王の苦戦ぶりについて) これら一切が軍隊の全機構の過度な摩擦なしに行われたと信ずることができるだ…

岩波書店『芥川龍之介全集 第十一巻』(一九七八)書簡集より

「将軍」が掲載された直後の書簡。 ※ 大正十一年 九八一 一月十三日 田端から 渡邊庫輔宛 (前半略) 何かゆつくり小説を書きたい新年の小説は皆不出来です (岩波書店『芥川龍之介全集 第十一巻』(一九七八 一九五ページ) ※ ……「将軍」は会心の作ではなか…

開高健『紙の中の戦争』岩波書店(同時代ライブラリー) 一九九六 その2

クラウゼヴィッツを読むのに手間取っているので、開高著からの引用をもう一つ。 ※ ただ残念なのは将軍その人、戦場、兵の発狂、作品を構成するイメージのうちで重要な役を果たさねばならないそれらのものがすべて美しい造花でしかないために虚無が閃光を生ん…

開高健『紙の中の戦争』岩波書店(同時代ライブラリー) 一九九六

以前、「将軍」の典拠としてスタンダール『赤と黒』を二か所ほど、あまり自信なさげに引用しましたが、裏付けらしきものが見つかりました。 ※ (穂積中佐の勲章論とは別に) 個人の犯罪における情熱の質と役を重視した言葉をもスタンダールは述べている。当…

岩波書店『芥川龍之介全集 第十二巻』(一九七八)より

「将軍」関係の記事が目当てで、芥川の創作メモやら座談会やらを読んでみたのですが、 ※ ○将軍。頼朝、尊氏、家康。 (「手帳」(十) 岩波書店『芥川龍之介全集 第十二巻』(一九七八) 五四〇ページより) ※ 違う。そうじゃない。 ならアリストパネス関係…

芥川龍之介「明治文藝に就いて」(大正十四年十月)

※ 八 憐れむべし、老桜痴。更に憐れむべし、老逍遥。過去世は既に逍遥を推して桜痴の上にあらしめたり。現世はその先後を知るべからず。未来世は桜痴を推して逍遥の上にあらしめん乎。 芥川龍之介「明治文藝に就いて」(岩波書店『芥川龍之介全集 第十二巻』…

『赤と黒』の犯罪論

前回に続き、「将軍」より。 ※ 彼はほとんど戦争は、罪悪と云う気さえしなかった。罪悪は戦争に比べると、個人の情熱に根ざしているだけ、×××××××出来る点があった。 ※ そして、スタンダール『赤と黒』中の、ジュリアンの犯罪論。 ※ 「すくなくとも犯罪を行…

『赤と黒』の勲章論

芥川龍之介の「将軍」の一節。 ※ それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。 「私は勲章に埋まった人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。………

スタンダール読み進まず。

どうも、「伯爵夫人は馬車で舞踏会へ出かけた」式の、お上品な小説は苦手です。 アリストパネスのお下劣さの方が、私に合っているようです。

スタンダアルなど読んでみる。

将軍とか勲章とかに関する警句めあてで。

今日は「金将軍」がらみを書いてみた。

遅々として進みませんでした。

軍隊と警察でCiNii検索

以下の五件が見つかりました。 ※ 平和活動における軍隊と警察の役割分担--ボスニアの事例から (特集 国内治安対策の国際比較) 藤重 博美 海外事情 56(7・8), 60-76, 2008-07 2 自衛隊とは何なのか--「軍隊」と「警察」の本質的差異 (〔防衛大学校防衛学研究…

戦争と警察活動の間

「将軍」の「三 陣中の芝居」を読んでいて、「軍隊と警察の違い」といった問題が気になり、あれこれ探していたら以下の文献が見つかりました。「戦争と警察活動の違い」なので、少しずれますが。 ※ 例えばラッセルによれば、「戦争というものが、警察による…

合わせ技

「「将軍」「金将軍」論」になるかもしれません。どちらの作品も単体では弱い気がしてきたので。