核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小林秀雄

対談「人間の進歩について」が書き換えられた経過

ようやく初出から第四次、第五次小林秀雄全集にいたる書き換えの経過が明らかになりました。 以下の通りです。それぞれの版を仮に(初出)や(単行本)と呼びます。 1948(昭和23)年 7月中旬、小林秀雄と湯川秀樹の対談が京都南禅寺で行われる。 同…

小林秀雄 「アシルと亀の子」 予告

「予告。」と書いただけで一日経過してしまいました。お詫びします。 実は近々、川端康成の『浅草紅団』論を書きたくなりまして、1929~1930(昭和4~5)の時代背景を調べようと思ったわけです。 小林秀雄の名を高めた初期の文芸時評「アシルと亀…

潜水艦グルニオン続報

1942(昭和17)年7月、日本の輸送船によって撃沈されたアメリカの潜水艦、グルニオン号。 「グラニオン」の名でウィキペディアに項目がありました。日本語の外部リンクを見たところ、2006年に遺族による調査が行われたそうです。 とりあえず、小…

平出英夫 「海戦の精神」(『朝日新聞』1941(昭和16)年5月29日夕刊一面

当ブログの2012年6月10日記事は、杉本健 『海軍の昭和史 提督と新聞記者』(文藝春秋 1982)の以下の部分を引用しました。 ※ この年(1941(昭和16)年)の五月二十八日、二十九日の縮刷版に目を皿のようにして探したが、平出の放送した「…

陸 艶 「小林秀雄「蘇州」をめぐって」

『佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇』40、2012-03-01。以下のサイトで全文が読めます。 http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/kiyou40b/D040BR203.pdf 私の初出漁りもまだまだ甘かった、そう感じさせてくれる論文です…

湯川秀樹編 『科学と人間のゆくえ 続半日閑談集』(講談社 1973(昭和48)年第一刷)

湯川秀樹の、『半日閑談集』に続く第二対談集。小林秀雄との対談「人間の進歩について」(1948)が収録されています。 『新潮』の初出と読み比べると、一箇所の異同と文字表記のぶれを除いて、初出文と全く同じ文章でした。 同じ対談なら当り前じゃない…

湯川秀樹・小林秀雄 対談 「人間の進歩について」

また初出との異同か。そう思われるかもしれませんが、本当にそう言いたいのはこっちの方です。 小林秀雄が戦時中に書いたヒットラー礼賛だの特別攻撃隊賛美だのを、戦後の全集ですべて削除したり逆の意味に書き換えていることは、既に何度か指摘しました。し…

小林秀雄 「常識」 『文藝春秋』 1959(昭和34)年6月 その2

重要な異同のみ指摘します。230ページ上段5行目。 ※ 「仮りに、先手必勝の結果が出たら、神様は、お互にどうぞお先へ、といふ事になるな」 「当り前ぢやじやないか。先手を決める振り駒だけが勝負になる」 ※ 一方、第五次『小林秀雄全集 第十二巻 考へる…

小林秀雄 「常識」 『文藝春秋』 1959(昭和34)年6月 その1

予定を変更して、小林秀雄「常識」の初出を紹介します。全集や文春文庫版と読み比べると、けっこう看過しがたい異同があったもので。 「考えるヒント」という副題は編集者がつけたそうですし(「役者」より)、「名人の読み」「不思議な傾向」という小見出し…

小林秀雄の潜水艦撃沈発言について

2012年5月24日の当ブログでとりあげた、「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号に、小林秀雄の「この間日本の輸送船が潜水艦を沈めましたね」という発言がありました(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2012/…

将棋とチェスの違い

小林秀雄の批判をやりだすときりがないのですが、これは書いておかねばなりません。 『メルツェルの将棋差し』という訳題は明らかに誤訳なのです。「差し」や、初出での『メエルゼル』という表記はともかく、問題は「将棋」です。 ポーが述べているのはチェ…

松原仁 『将棋とコンピュータ』 共立出版 1994 その2

冒頭から、小林秀雄の「常識」で読んだような話題です。共通の出典があるかはいずれ調査。 ※ もしかりに将棋の神様が二人いたとすれば、先手と後手が決まったときにたしかに勝負はついているのです。 将棋には必勝法があります。(略)ゲーム理論の教えると…

松原仁 『将棋とコンピュータ』 共立出版 1994

こういう本を読みたかった。久しぶりにそう思わせてくれる、実に情報量の豊かな本です。 著者は人工知能の研究家で、将棋はアマチュア五段だそうです。 (理系の方らしく、タイトルおよび本文中では「コンピュータ」と、最後の「ー」なしで表記なさっていま…

阿川弘之 『米内光政』(1977)

『新潮現代文学39 雲の墓標・米内光政』(新潮社 1979(昭和54)年)より。 著者は海軍の元通信士官で、戦後の「第三の新人」と呼ばれる世代の小説家。志賀直哉の弟子。 阿川佐和子のお父さんで、童話『きかんしゃ やえもん』の作者でもあります。 …

杉本健 『海軍の昭和史 提督と新聞記者』(文藝春秋 1982)

米内光政(よないみつまさ)という総理大臣は、今日ではあまり知られていないのではないでしょうか。 東條英機や近衛文麿の前に首相となり、日独伊三国同盟や対米開戦に反対し続けて倒閣された海軍軍人です。 この人物の開戦直前の生の発言について、当時は…

杉本健 『海軍の昭和史 提督と新聞記者』(文藝春秋 1982)その2

海軍大佐・大本営報道部第一課長、平出英夫に関する記述を中心に。()内は注記です。 (徳富)蘇峰は早くから三国同盟論者で、”米英討つべし!”と主張しており、米内(光政)・山本(五十六)時代に容易にO・Kしない海軍の態度を煮え切らぬものとして、なん…

杉本健 『海軍の昭和史 提督と新聞記者』(文藝春秋 1982)その1

アテナイ年代記はしばしお休みにして、平出英夫大佐についての資料を紹介します。 著者は明治44年生まれ、昭和11年から8年間朝日新聞東京本社の政治部員として海軍を担当、戦後は産経新聞に移った方です(著者略歴より)。以下、()内は私のコメントで…

木俣滋郎 『潜水艦攻撃―日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』 光人社NF文庫 2000(予告)

http://www.amazon.co.jp/%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6%E6%94%BB%E6%92%83%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%81%8C%E6%92%83%E6%B2%88%E7%A0%B4%E3%81%97%E3%81%9F%E9%80%A3%E5%90%88%E8%BB%8D%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6-%E5%85%89%E4%BA%BA%E7%A4%…

バリ島沖海戦―亀井宏『ドキュメント 太平洋戦争全史』より

海軍大佐平出英夫が小林秀雄や河上徹太郎に「バリー島沖の海戦で、駆逐艦二隻で敵の巡洋艦二隻と駆逐艦五隻をやつつけた」と語った件(当ブログ5月22日 http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2012/5/22)につきましての追加報告です。亀井宏…

『河上徹太郎著作集 第二巻』新潮社 1981(昭和56)年

気になった箇所のみ、ダイジェストでお送りします。「」内は引用。()内は注釈と私の感想です。初出は著作集に注記されたままであり、今回は実際に初出を読んだわけではありません。 ※ 「私は率直にいはう。明治文学史を通じて偉大な小説は沢山あつた。然し…

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その8

2012年5月18日より8回に渡ってお届けしました「海軍精神の探究」画像紹介も、今回でやっと終わりです。 戦争の記録としては役立ちそうもありませんけど(一応ウラをとってはみます)、「大本営発表のできるまで」の資料としてはそれなりに価値がある…

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その7

「小林 この間日本の輸送船が潜水艦を沈めましたね。どうしてあんなに敵は拙いかと思ふんですが・・・・。 平出 精神力が違ふのです。」 かなり海戦の常識に反する出来事だと思うのですが、先日読んだ『太平洋戦争全史』や『昭和ニュース事典』では該当する…

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その6

「小林 さういふ原理で以て、日本の合理的な戦術論といふものが書けますですね」 タモリさんですか。軍人にここまで卑屈な態度をとった文学者もそうはいないと思うのですが・・・バリ島沖海戦ともども調べてきます。いったい、この空論のどこが合理的なんで…

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その5

平出の発言に、「バリー島沖の海戦で、駆逐艦二隻で敵の巡洋艦二隻と駆逐艦五隻をやつつけた」とありますけど・・・。 ウィキペディアの「バリ島沖海戦」の項では違うようです。要調査。 (2012年5月30日追記 追加報告を載せました http://blogs.yahoo…

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その4

こうした言説は、「戦争協力」とは呼べないと思います。 日露戦争の時にも、帝大七博士なる自称知識人たちが、「日本は強い、敵は弱い」と実情からかけはなれた宣伝活動を行い、和平交渉を妨げ、犠牲を増大させました。それと同じことです。 短期決戦派の山…

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その3

大戦末期の神風特攻隊と違い、この座談会の時期には日本はまだ勝っていました。 なんでこの人たちは自爆装置にこだわりたがるんでしょうか。当人たちは「死を恐れざる精神」なんて無縁なのに。

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その2

『大洋』誌というのは全編海軍の宣伝雑誌なのですが、どの程度公的な性質のものなのかまでは調べきれませんでした。もくじと奥付もコピーしておくべきだったと激しく後悔しております。

「鼎談 海軍精神の探究」 『大洋』1942(昭和17)年5月号(4巻5号) その1

日独伊三国同盟(特にイタリア)の主唱者、大本営発表の責任者であり、特別攻撃隊(自爆攻撃)の先駆的提唱者でもある海軍大佐 平出英夫。彼の戦時中の「人気」ぶりの一例です。 2011年7月3日の学会発表では紙幅と時間の都合でごく一部しか紹介できま…

日独伊同盟と大本営発表の責任者、平出英夫

そもそも、なんで日独「伊」三国同盟なのか。そう思った方は多いのではないかと思います。 別にイタリアをおとしめるつもりはないのですが(戦争が強い弱いなんてのは、別に名誉でもありません)、1940年時点で日本とイタリアが同盟を組む利点というのは…

1959(昭和34)年の中谷宇吉郎

雪と氷の研究家、中谷宇吉郎(なかやうきちろう。1900~1962)。『立春の卵』などの随筆でも知られた方です。 わけあって1959(昭和34)年当時の彼の動向を知りたく、文献を漁ってみました。 ※ 昭和34年(1959)年 59歳 ・孫野長治ら…